本と詩と,どうでもいいこと。

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おまめんの思考メモ

カミュの描きたかった不条理

最近,アルベール・カミュ(1913~60年,フランス)の『異邦人』を再読しました。

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 再読,というのは,大学時代に一度読んでたからです。

でもその時はあんまり面白さを理解することができなくて,読んだその時は面白かったようなんだけど,印象がまったくなくて内容を忘れてしまいました・・・

 

仕事でカミュについて調べる用事があったので今回一念発起して?再読!

 

あらすじを簡単にwikipedeiaから。

 

 アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーの元に、母の死を知らせる電報が、養老院から届く。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど、普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。

 

…改めて読んだら面白かった です(笑)

 

最後の方はページをめくる手が止まらない。

これを大学時代に読んで,10分の1でも理解できていたんだろうか。。。

 

●抗えない「不条理」

主人公ムルソーは,前半では一貫性のない「非常識な」行動をしているようだけれど,この自暴自棄感というか,生に対する無力感みたいなのは,鬱屈した時代の空気感(「末法」感とも言える)を体現しているような感じがする。

 

『異邦人』は1942年に刊行されていて,この頃はフランスはドイツに降伏し,占領下にある時代。

カミュ自身が抗えない不条理みたいなものを感じていたんだろうと思うし,その世界の「常識」を押し付けられてムカついていたんだろうと思う。

  

どうやったって抗えない不条理がある,ということは学生時代にはあまり理解できていなかった。当時は希望にあふれていて,自分は何にだってなれると思っていたと思う。(実存は本質に先立つ!)

しかし,社会で働いていると,どう頑張っても何ともならない不条理を感じたり,それに対する無力感,絶望などを感じる機会が圧倒的に増える。それに,「忖度」へのムカつきはある。

そういう不条理が存在することを知ってから読んだから,主人公ムルソーの不条理に対する姿勢がほんの少しだけ理解できた気がする。

 

カミュ実存主義批判

最後の方にムルソーが懺悔を促す司祭に大して怒鳴るシーンはかなり痛快。

そしてすべての言葉がカミュからのメッセージになっている。

 

君はまさに自身満々の様子だ。そうではないか。しかし,その信念のどれをとっても,女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから,自分が生きているということにさえ,自信がない。私はといえば,両手はからっぽのようだ。しかし,私は自信をもっている。自分について,すべてについて,君より強く,また,私の人生について,来るべきあの死について。

 

他人の死,母の愛―そんなものが何だろう。いわゆる神,ひとびとの選びとる生活,ひとびとの選ぶ宿命―そんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び,そして,君のように,私の兄弟といわれる,無数の特権あるひとびとを,私とともに,選ばなければならないのだから。

 

カミュは,実存を確立するのに,結局,最後には神の存在を求めちゃうっていうことを批判してる。(有神論的実存主義への批判)

現実に迫りくる不条理(カミュの場合はきっと戦争)に対して,神の存在を求めるのではなくて,現実を見つめ,不条理に屈しないで立ち向かってゆく。そういう生き方を彼は主張し,同世代人たちの心を捉えた作品なんだろうな,と思う。

神うんぬんはいまいち日本人にはピンとこないかもしれないけど,抗えない不条理にどう立ち向かっていくべきかについては,私たちも普遍的なメッセージとして受け取ることができると思う。

 

●シーシュポスの神話

今回,合わせてこの本もちょっと読んでる。こっちは哲学的エッセイだから小説のように読みやすくないし,全然読めてない。。。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

 

 ここに出てくるシーシュポスの逸話(ひたすら徒労に立ち向かう人の話)がカミュにとって不条理に立ち向かう英雄の姿だという。

 

これから直面する不条理に,私は『異邦人』のムルソーのように,また『シーシュポスの神話』のシーシュポスのように立ち向かっていけるだろうか。私はその時,異邦人でいることができるだろうか。

そういうことを問いかけてくれる小説だと思った。

 

読んでしばらくたってからの感想なのでいまいちまとまりがないけど終わり。